『S』 

−4−

 


「私が生まれた日」
 エヴァは、唐突に口火を切った。
「流れてきたロマの占い師が、予言をしたの。
 『この娘は、やがて、闇と光を生み出すだろう』って」
 スパーダは、虚空を睨みつけたままだ。
 その背中にむけて、言葉が紡がれる。まるで抱きしめるかのように、優しく。
「アンタには分かると思うけど、私は悪魔が寄って来る体質なのよ。
 どこにいても、悪魔が追いかけてくる。
 だから、名工だった父さんは、それを追い払う武器を死ぬまで作り続けた。
 実際、すごい武器ばかりよ。だけど、傑作といわれたのは、ただ一つ」
「それが、ルーチェ&オンブラか」
 この銃の意味は、『光と闇』だ。
「私にも扱えないじゃじゃ馬よ」
 軽い口調に引き寄せられるように、振り返る。
「わたしは『光と闇』には、なれない。だから、父さんの死をきっかけに、
 修道女になろうって決めたの」
 己の限界が見えてしまった人間の諦めの表情というより、
友達と仲良くなれない子供がするような寂しげなそれだった。
「貴様にしては、諦めがいいことだな。銃を扱えないくらいで、
 怖気づいたのか?」
「あんたってやつは、そういうところが嫌味なのよ!」
 娘は、肩をすくめた。
「お見通しのとおり! 本当は怖かった。あんな予言のひとつで
 私の人生が決められるみたいで――。なにか分からないものに、一生を
 縛りつけられるみたいで――。私の意志なんて、必要ないって言われて
 いるみたいで、たまらなかった」
「この世には、絶対的なものなど存在しない」
 スパーダは、剣先についた血を露払いする。
 刀身には、払っても払いきれない赤い残滓がこびりついている。
「それでも、真実だけは残る。あがいたわ。神様の膝元に逃げ込んで、
 予言から逃げようとした。だけど、私の運命は――」
 双剣を振るっていた両手を、空に掲げる。
細い指を濡らしていたのは、暗い未来だった。
「受け入れるか、拒むかは、貴様しだいだ」
 悪魔狩りの女は、自嘲気味に口元を緩めた。
 なぜだろう。
 先ほど涙を流していたときよりも、よほど遠く感じる。
魔の眷属をなぎ倒すだけの力があるのに、この脆さはなんだというのだ。
 しかし、絶望の中にいるというのに、弱い光がこの女の中にはある。
 左目のモノクルの奥の瞳を、ふと細めた。
(ああ、そうか)
 だからか。
 光と闇という名を持つ銃がほしいのは。
 女の中に灯る微かな微笑みの中に、スパーダの求めた答えがあった。
 移り変わり、揺らぐ、「感情」という名の海が、人間にはある。
ときには、その心すら壊す荒々しさを持ち、ときには、
穏やかに凪いだ優しさをもたらす。
 人を強くし、弱くもする。
それは、闇にうごめく悪魔には、決して判らない「感情」だった。
 しかし、スパーダはまだ知らない。
 絶望という名の暗闇の海に、光が差し込むとどうなるのか。
光と闇の狭間に、何が生まれるのかを。
「どうすればよい」
 ぶっきらぼうに聞く。
 観察よりも先に、なぜだかこの娘をほうっておけない気がした。
「え?」
手の中に顔を落としていた女は、顔を上げる。
一瞬、あっけに取られたような表情を浮べた。が、すぐに合点がいったようだ。
「人間はこういうときにどうする」
「人間なら、そういうことを聞かないわよ!」
 口元を、小憎たらしく吊り上げる。
「悪魔なら、最初から思いつきもしない」
――崩れ落ちてしまいそうなものの扱い方など。
 視線がぶつかりあうと、笑いが起こった。
「ヘンな悪魔」
 笑う頬に、透き通った粒がこぼれる。
 はらはらと、零れ落ちる涙は、どんな宝石よりも価値があるもののように思えた。
 とっさに、スパーダは手を伸ばす。
 だが、触れる寸前、射るような女の視線で、指が凍った。
 女は、小さく微笑んだ。
 それが、金縛りを解いた。
 大きく踏み出し、肩を引き寄せる。しろい頬に、手を伸ばしたところで――
「これはどうしたことだい」
 背後から、声が投げかけられる。
 はじかれるように、スパーダは、剣を構えた。





***





 頭の半分がもげた教会の中から、三つの人影が姿を現す。
「悪魔は去ったようですね…」
 しわがれた老婆を両方から支えるように、二人の中年の修道女が
廃墟から抜け出てきた。
「―-エヴァ?そこにいるのはエヴァですか」
 いささか年若い声。
 知り合いのはずなのに、女はとっさにスパーダの背中に隠れた。
「よかった。あなたにも神のご加護があったようですね」
 加護もなにも。
 途中でスパーダの乱入があったとはいえ、この街を救ったのは、
この女ではないか。
 そもそも神の加護なぞ、あるのか。
そんなものが存在するのならば、この惨状を放ってなどおかないだろう。
「さあ、神の家に帰りましょう」
 優しく、だが、有無を言わせぬ口調。
「でも、わたしは…。私の手は」
 先ほどまでの威勢のよさはとこへやら。ひどく歯切れが悪い。
そういえば、先ほどの戦いから教会に近づくのを避けていたように思える。
 何を恐れているのかは、すぐに分った。
「お前がいるから、この街に厄災が来たんだ!」
 真ん中の老女が、しゃがれた声で叫ぶ。
 興奮した言葉は、悪魔のする呪いよりも念が深く、たちが悪い気がした。
「呪われてる!おお、私は反対だったんだ。こんな娘を神の家に
 入れるから、天罰が下ったんだ。
 いや、この娘が悪魔を手引きしたのかもしれない…」
 修道院長さま。
 両隣の女が諭そうとすると、老女はますます暴れだす。
「なぜ止める!!
 母親の命を奪って生まれた忌み児め!この娘は魔に魅入られているんだよ」
 老女は、枯れ木のような小指を震わせて、責め立てた。
「一緒にいる男をごらん!」
 なだめていた女たちの気配が、スパーダに注がれ、血の気を失った。
 なるほど。
この老婆は、感応能力だけは、一流らしい。
「普通の悪魔じゃない。もっと上の…ああ、こんな男が存在するなんて、
 恐ろしい――」
「いいえ。大丈夫です。戻っていらっしゃい、エヴァ。
 神様はきっと許してくださいます。そりゃ、ひどい罰は受けなければなりませんけど…」
「いいや。ダメだ!悪魔に魅入られた人間など――」
 スパーダは、繰り広げられる茶番を無感動に見つめていた。
 人ではないから、なんなのだ。
経過や動機はどうあれ、その「悪魔」と悪魔狩りの娘に
命を助けられたのではないのか。
「行きましょう」
 フロックコートの布地を軽く引っ張られる。
「なぜだ」
「だって…」
 娘は、唇をかみ締め、目を伏せていた。
 だが、なんとなく理解はできる。
 普通のヒトとしての感情、ヒトを超えてしまった人間としての感情。
 きっとこの娘は認めたくないのだろう。
人の輪の中に戻りたいと思いつつ、もう戻ることなどできないのだ、と。
 だから、ふたたび剣を取った今も、女は運命の輪の中に飛び込むことを
ためらっているのかもしれない。
 反吐を叩きつけてやりたい衝動に駆られた。
 この善良さの皮をかぶった女たちは、そんな揺れ動く感情を読みきり、
罪と罰を交互に与えながら、手の上で踊らせようとしている。
 結局、エヴァの『力』を利用したいだけだ。
 己の弱さを正当化し、他人を支配する。
 『魔』に魅入られているのは、どっちだ。
「出て行け、悪魔憑き!」
 老女は、全身を震わせ、呪詛を続けていた。
 これは、予定外の行動だ。
 おそらく自分は、今も無表情だろう。感情らしきものなど、存在しない。
 だが、こうせずにはいられなかった。
「ならば――」
 娘の腕を、強く引っ張り上げる。
「この娘、魔帝の片腕のスパーダが貰い受けよう」
 思わぬ言葉に、この場にいる誰もがぎょっとした。
「なにいってるの、新入――」
スパーダのほうを上向いた唇に、己のそれを近づける。
「バッ、ばかっ! なにすんのよっ」
鋭い剣先が、空気を切る。猛烈な勢いで、双剣の柄を振り上げていた。
――運命を受け入れるか、拒むか。
 頬を掠めていく剣先の先にある、青い瞳にそう問いかける。
ようやく、我に返ったようだ。
(ああ、なんてしぶとい)
思わず、声を立てて笑いたくなった。
 エヴァは両腕を組んで、ふんぞり返った。
この女に言葉などいらない。武器は、悪魔すら惑わせる視線ひとつだけ。
それで、十分だ。
 かぎりなく凶悪な目で、修道女たちを睥睨する。
 三人が肩を寄せ合い、存分にすくみあがったところで、背を向けた。
 自分は、この光景を忘れないだろう。
 生命力に満ちあふれたまなざしが、スパーダの脳裏に鮮やかに焼きついている。
「――行くわよ」
 女は、運命を受け入れて、力強く歩き出した。





NEXT
(2004/9/5)

<あとがき>
いよいよ連載4回目です!残すはあと1回!
ここまで読んでくださった皆様、まことにありがとうございます!
(果たして、いらっしゃるのだろーか(笑))


今回は、結構この連載の核になる部分だったかもです。
エヴァ姐さんのターニングポイントですね〜。
そして、エリート悪魔のスパーダさんが、どうしてはずれ悪魔になってしまったのか(笑)

う〜ん、しんみりとした描写って難しいですね!
「読ませる」文章がかけるようになりたいのになぁ〜(遠い目)

さて、残すは、最後の締めの部分だけです!!
ここまでお読みいただいたら運命共同体っす(迷惑)
ぜひ最後までお付き合いいただけると嬉しいです!

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