『S』
−3− 「どこだ」 スパーダが地面に降り立ったとき。首のない死体が地面に沈むこみ、 巨大な煙の雲が巻き上がった。 炎と煙幕を背負った男は、優雅に問う。 「どこにある。ルーチェ&オンブラは」 「言えない」 エヴァは、小さく息を吐くと、剣を握り締める。 「実力なら、見極めただろう? 私が倒したのは、地獄の侯爵の一人だ」 「アンタにだけは渡せない。あれは、アンタが持っていい銃じゃない。だって…」 威勢のいい言葉とは裏腹に、わずかに膝が震えている。 その視線は、スパーダをすり抜けた先に注がれている。 「だって、アンタは人間じゃない」 崩れかけた塀に、影が映し出されている。 背中から伸びているのは、コウモリのような禍々しい翼。 頭から突き出しているのは、兜のような巨大な角。 最凶の悪魔――。 これが、男の正体だった。 「だからなんだというのだ。 機嫌がいいうちに吐けば、命くらいは助けてやるぞ?」 「……わたしの父さんは、悪魔に殺された」 エヴァは、絞りだすように、うめく。 対峙しながら、ようやく分りかけてきた。 人間は、葦よりも弱い存在だ。 なのに、この娘は、悪魔をもなぎ倒す力を持っている。 薄いガラス玉のような色の瞳には、燃え盛る炎がある。 その正体は――憎悪。 血刀を下げたまま、スパーダはうすく笑う。 それは、悪魔には、決して理解のできない「感情」という代物だった。 「つまり、渡すつもりはない。そういうことだな」 「ずいぶん聞き分けがいいじゃないの。ママにそう教えてもらったの?」 (なんて女だ) 本気のスパーダと正面から向き合って、逃げなかっただけでも勲章ものだ というのに、この期に及んで、皮肉を叩けるまでに落ち着きを取り戻すとは。 青い瞳には、もはや恐れなど微塵もない。 赤い炎が、爛々と輝いている。 男の引き締まった頬が、わずかに緩んだ。死んだような心の中で、 なにかが少しだけ高揚していく。 不思議な高ぶりのままに、閻魔刀の切っ先を突きつける。 「ならば、力で奪うまでだ」 「最初からそういいなさいよ、この軟弱貴族!」 女は、身体の前で双剣を交差させ、重心を落とした。 「冥土の土産に教えてやろう。貴族などではない。私は――」 静かに、だが急速に緊張感が高まっていくなか、厳かに名乗りをあげる。 「魔界の暗黒騎士スパーダだ」 「ご親切にどうも!」 ことばが終わる前に、両者ともに地面を蹴っていた。 ぶつかり合った刃が、火花を散らす。刃の間で、悪魔と人間が睨みあう。 しのぎを削りあいながら、互いに一歩も引かない。 できる――その技量に、思わず心が高鳴る。もう一度、仕切りなおしだ。 同じ呼吸で、刀を引いた、そのときのことだった。 異変は、いきなりやってきた。 「ムウヴォォ!!」 二人のはるか頭上、教会の屋根と同じ高さに、炎をまとった獣の首が 浮かんでいた。 *** 「スパーダ…! 貴様ァア」 怒りと屈辱で燃えさかるケルベロスに、胴体はなかった。 首を絶たれ、骨をむき出しにした頭部が、恨みのこもった声で叫んだ。 「ヤハリ、ムンドゥス様ノ判断ハ正シカッタ。貴様ハ危険ダ」 「ムンドゥスだって? なぜ…」 「黙レ、裏切リ者!」 ――見ろ、スパーダ。この混沌を! 明けることのない戦いの中、ムンドゥスとよく高台に登ったものだ。 足の下に広がっているのは、まさしく混乱と狂気に満ちた、暗黒世界。 ――いずれ、このすべてを平げよう。 ――それは骨が折れるぞ。地獄の侯爵どもは、相当手ごわいからな。 ――たやすいことさ。おまえさえ隣にいれば、な。 幾千もの戦場を駆け巡り、数えきれないほどの死線をくぐり抜けてきた。 それができたのは、ムンドゥスに背を預けられたからだ。 悪魔には、友情などという下等な馴れ合いの情などない。 だが、ムンドゥスとの間には、たがいの強敵だからこそ生まれる、剣だけでしか 語りえない確かなものがあると感じていた。 どこで、おかしくなったのだろう。 ――なぜ帝位を望まぬ。 すべての悪魔を屈服させたとき。 決闘を申し込んできたムンドゥスに、スパーダは剣を引いた。 悪魔のすべては力。強さへの欲望こそが、存在理由だ。 雌雄を決するのは、自然の流れだっただろう。 しかし、その戦いの先に、欲しいものはない。 なぜか、そんな気がした。 結果、ムンドゥスは、帝位についた。 そして、スパーダはその右腕となった。 「貴様ハ悪魔デアリナガラ、我々ト違ウ。我等トハ、違ウトコロヲ見テイル」 戦友との間に隔たりは生じはじめたのは、この頃だ。 だが、それは君主と一剣士の違いからくるのだと思っていた。 「ソレダケデハナイ。ヤハリ、アノ予言ハ真実ダッタノダ。 『剣』ト『双子』ガ、魔界ニ闇ヲモタラス」 「『剣』…すなわち、『スパーダ』……私のことだといいたいのか。 流れてきた占い師の予言など、ムンドゥスが信じるとでも? 馬鹿らしい」 「ククク…。コノ侵攻デ、オ前ノ近クニ我ヲ配置シタノハ、何故ダト思ウ?」 わずかに頬に苦味を走らせた男の様子を、魔界の番犬は満足そうに見つめ、 残酷な結論を突きつけた。 「監視役ダ」 だから、ケルベロスはことあるごとに反抗してきたのか。 スパーダの本心を見極めるために。 「…そうか」 端正な顔に、冷酷な微笑が浮かぶ。 いつかこの日がやってくることを、知っていたような気がする。 「ちょっと、見習い!」 いきなり、コートの裾を力任せに引っ張られた。 「すっこんでろ、小娘。人間のでる幕ではない」 荒々しく振りほどく。 言葉が悪くなったのは、娘のせいだ。そう心の中で、嘘ぶいた。 ケルベロスを睨みあげる。 「私をどうする気だ、侯爵殿。魔界に戻って、奴の靴の裏でも舐めろと?」 無視して話をすすめると、いきなり後頭部に鈍い衝撃が走った。 とんでもなく固いなにかで、殴られたらしい。その箇所が、疼くように痛む。 「こっち見なさいよ、バカ男ッ!」 なおも振り返らないでいると、追い討ちが脳天を襲った。 (まさか) おそるおそる振り返ると、双剣の柄の部分がこちらを向いていた。 (それで殴ったのか) が、エヴァはそんなことに頓着しなかった。 「なにカッコつけてんのよっ! 友達に裏切られたんでしょう? なんでそんな平然とした顔してるのよ!」 襟を掴み上げられる。 (なぜだ) 見開いた瞳から大粒の涙があふれ、次々に頬を濡らす。 まるで、自分がだまされたような表情ではないか。 (なぜ、貴様が泣く) しかし、今はそれどころではなかった。 「スパーダ…!勝負シロ!」 背中に、かみ殺さんばかりの殺気を感じる。 「ちょっと、なにす…」 伸びてきた腕に、女は、一瞬だけ、身をすくませる。 が、伸びてきた手の優しさに、今度は、目を丸くした。 「…スパーダ?」 「悪魔は、人間とはちがう」 指で、すばやく女の目元を指ですくいとると、背を向けた。 スパーダの手の中で、閻魔刀が血と力の解放を求め、唸り声をあげている。 勝負のときは、今だ。 すべての感覚が、一気に燃え上がった。 「あいにく、涙が出るようにできておらんのだ!」 音速より早くケルベロスに突進する。 逆袈裟に切り上げたところを、かわされた。至近距離で、ケルベロスが 口から火の塊を吹く。剣ではじき返す。ひるんだ隙に、剣を大上段に振り上げ、 地面を蹴った。 ――力がすべて。欺瞞こそが美徳。 悪魔の本性は、知っていた。 悪魔がなにかと例える前に、なによりも自分が悪魔だから。 肉を絶ち、骨を砕く感触。 閻魔刀が、歓喜に震える。 だが、このむなしさはなんだというのだろう。 「許サヌ…! 永劫ニ、貴様ヲ呪ッテヤル…」 喉の中に剣を突き立てられ、魔界の番犬は、のた打ち回って吼えた。 しかし、すぐに原型が崩れ落ち、砂が風化するように、消えた。 それは、男の乾ききった心の中を、なんの波風を立てることなく通り過ぎた。 NEXT |
<あとがき> いよいよ連載三回目です! おつきあいくださった皆様、まことにありがとうございます! 今回はスパーダの内面の描写が多いですね〜。 ムンムン(俺的ムンドゥスの愛称)との友情を書いてみましたが、さてはて(笑) ちょっとづつ人間っぽくなってきたスパーダさんですが、 正義に目覚める日は遠そうですね〜。アハハ。 ところで、今回のエヴァ姐さんのみどころ(謎)は、 刀の柄で伝説の魔剣士をぶん殴るところです。 きっとスパーダさんの頭蓋骨は陥没しているに違いない(怖) 次回は、ややしんみりモードになるかと思いますが、 もしよろしければ、また覗いてみてやってくださいませ! |