『S』 

−1−


 高台から見下ろすと、円形に広がった街が炎につつまれている。
 いかにレンガ作りの堅固な城塞都市であっても、門さえ押さえれば、
あとは袋のねずみだ。
 敵が、人間であればもう少し持ちこたえただろう。
しかし、今、この街を侵攻しているのは魔界の軍勢だ。
 男は、空を見上げる。
 涙をこぼしそうな色の赤い月。雲はない。
代わりに、空を異形のものたちが覆いつくしている。
 羽の生えた巨大な蝙蝠男は、鎌を手にしている。翼竜に乗った悪魔もいる。
みな、眼下の街に吸い込まれていく。
 本能のままに殺戮を好む下位の悪魔は、群れることはあっても
団体行動はできない。一つにまとめ上げ、「軍隊」の威容を整えたのは、
この男の力量だった。
 左目には、眼鏡。
 背には、すらりとした細身の東洋的な刀。
銀色の髪を後ろに流し、フロックコートをまとう貴族然とした男は、
スパーダと言う。
(――遅い)
 金の懐中時計を見つめる瞳に、焦りなど浮かんではいない。
 感情などつまらないものに左右されるのは、下級の悪魔だけだ。
魔帝が、唯一信頼し、また畏敬する悪魔は、知性も剣技だけでなく、
自制心も極上だった。
 予定では、とっくに街の壊滅の報告を受け、「宝」を手に帰還の途に
ついている時刻だ。早ければ、ムンドゥスと勝利の美酒に酔いしれていただろう。
 円の中心に、視線を飛ばす。
 常人には点にしか見えないそこで起こる光景に、吸いよせられる。
 燃え、崩れ落ちる建物の中で、きらめく剣先。刹那、火よりも鮮やかな
何かが吹き上がる。
 餌食になっているのは、まちがいなく眷属だ。
(……なんて速さだ)
 断末魔の声を上げる前に、塵となって消される。
 正体は、分からない。だが、これほどの鮮やかな手さばきのできる人間が、この下に
いる。
(勝負はこうでなくては)
 これは、人間界を征服するためのいくさなのだ。
もがき、苦しみ、散っていく人間の姿を拝まなくては、意味がない。
 抜き放った刀を、肩に担ぐ。
 唇に、微笑のようなものが浮かぶ。優雅で冷酷なそれを、「微笑」と呼ぶには、
白皙の美貌はあまりに芸術的すぎた
(…おもしろい。征討軍総司令が直々に相手してやろう)
 みたされない渇きをいだいた悪魔が一匹、空に舞った。





***



 頭の半分が吹き飛ばされた建物の群れが、死んだように静まり返っている。
 ただ、火の中で燃え尽きようとする木が、ときおり爆ぜるだけだった。
 激戦地は、街の中心部から移ってしまったらしい。
 スパーダは、赤く濡れた地面に転がった死体を靴先で蹴り上げ、反転させる。
人間も悪魔も、いずれも死に顔は、おなじだった。
 とくになんの感情も浮かばない。頭にあるのは、魔界の侵攻を妨げる「敵」の抹殺と、
この街のどこかにある「宝」の入手。
(さて、どうしようか)
 整った顔には、まったく困ったようすがない。
 突然、背後で、砂を踏む音があがった。
(――敵か)
 しかし、だらり、と両手を下げたまま、刀の柄に手をのばそうともしない。
 相手がだれだろうと、地に這わせる自信があるからだ。
 降ってきたのは、戦場でもっとも似つかわしくない生き物の声だった。
「…アンタ、なにしてるの」
 振り返って、愕然とした。
 教会を背に立っていたのは、一人の修道女だった。
 ひょっとしたら、この女も眷属なのかもしれない。こんなに禍々しいものが、
人間であるわけがない。
 上位の悪魔のスパーダですら、眉をしかめずにはいられない。
 頭をすっぽりと覆うヴェールも、地面にとどく長さのスカートも、朱色で染まっていた。
「ずいぶんとマヌケな貴族ね」
 女は、己の姿をまったく気にしなかった。
それどころか、スパーダの頭の先から爪先まで、ぶしつけなほどに観察する。
「とっくにみんな逃げたと思ったのに…」
 背後で、するどい風が鳴った。
 巨大な鎌が、女を狙う。
 頬には、微笑みすら浮かんでいた。まるで最初からわかっていたように。
 スカートの裾がワルツのステップのように翻る。両手の小太刀が鳴り、
大きな弧を描いた。胴が切り離されたときに、右手が火を噴く。
 悪魔は、一瞬で、塵芥となって消えた。
「ああ、全く。どこから沸いてくるのよ!」
 腰に下げたホルスターにリボルバーを放り込み、ふたたび双子の剣を手にした。
 この太刀筋には、見覚えがある。
(まちがいない)
 悪魔の群れを、切り伏せていたのはこの女だ。
 ならば、やることは一つ。
 スパーダは、背中の閻魔刀に手を伸ばす――前に、袖を鷲づかみにされた。
「逃げるわよ」
「なんだと?」
 首を後ろにひねると、教会の鉄扉がこわごわと動いている。魔軍の襲撃が一段落したのを
見計らった人間だろう。
「逃げるなら、きさまだけ」
「うるさい、アホ貴族!」
 正面から罵倒されたのは、初めてだった。面食らっていると、有無をいわさずに
腕を引っ張られた。




「…なぜ逃げる、娘」
 教会が見えなくなった町外れの大木の下で、ようやく腕を解放された。
 女は、無言のままぐったりと座り込む。悪魔と戦っているときよりも疲れている
ようにみえた。
「おまえはあの教会の人間だろう?だったら…」
「あ〜。もう!人が親切に道案内してやろうってのに、無礼な男ね」
(自分が、人を『阿呆』よばわりするのは棚上げか)
 そう思ったが、黙っていた。諭そうとすれば、それだけ反抗するタイプにちがいない。
 スパーダの眉間に、わずかだが深い皺が刻まれる。
「あんたね、娘、娘って騒ぐけど、私には立派な名前があるの!」
 むくれたようにヴェールに手をかけ、荒々しく布を取り払った。
 目を逸らしたくてしょうがなかった。人間ごときの自己紹介に、つきあう気などない。
 なのに、知らず、息を呑んだ。
 闇夜に、みごとな金がこぼれおちた。
「エヴァよ」
 それよりも鮮やかな迫力をもった瞳が、男の眼差しを射る。
「私の名前は、エヴァ。名前があるなら伺うわよ、マヌケなお貴族さん?」



***


 貴族だと?
 スパーダは、やはり無表情のまま、心の中で舌打ちをした。
 悪の誉れたかい魔族が、人間扱い、それも貴族など腐臭のする生き物と
間違えられるとは。
 だが、人間と接触できたのは、チャンスだった。
 あの宝――この街に住む名工の作った「双子の銃」の情報を取れば
いいだけの話だ。
 このうえなく不快だが、貴族とやらの振りをするのが一番だろう。人間と
いうのは権威に弱い生き物だから。
「私の名前はスパーダ。この街のマイスターの作った双子の銃を求めて、
北方から来た」
 それは、ルーチェ&オンブラという名前だ。
「止めといたほうがいいわよ、呪われるわ」
(なんて女だ)
 つっけんどんに言うやいなや、幹の根元に背中を預け、膝を立てて座った。
礼儀を知らない下賎のふるまいだ。
 それでも、スパーダは、あくまで黙殺を決め込み、結論をうながす。
「話が早いな。知りあいか」
「知ってるもなにも」
 自嘲気味に笑うと、言葉を濁した。
 これ以上、語りたくないらしい。ならば、職人に直接聞けばいいだけのことだ。
「マイスターはどこにいる」
「死んだわよ」
 ゆらりと立ち上がると、スパーダを睨みつける。男の肩の向こう側――
街の北側で、爆発音が上がった。
 女は、本能的に駆けだす。追いすがるようにして、手首をつかんだ。
「質問は終わってない」
「アンタにかまってる暇はないわ。命拾いしたんだから、とっとと逃げなさいよ」
「ふざけるな。なんのために…」
 わざわざ人間なんぞと話をしているとでも思うのか。
 そこまで切り出して、はっと言葉をのんだ。
 しかし、女は、スパーダの思惑を想像すらしなかった。
「……ああ、じゃあ、こうしましょうよ」
 腰から剣を抜き、肩をそびやかす。
「仕事を手伝って。そしたら、教えてあげてもいいわ」
「聖職者の仕事か?そんなもの――」
「悪魔狩りよ」
「なんだと」
 予期せぬ申し出に、気色ばんだ。
事情を知らないとはいえ、魔軍の総指令官に、なにをいいだす
のだ、この娘は。
 いや、それ以前に問題がある。
「おまえは神に仕える身ではないのか。殺生は」
「怖いのなら、ママのスカートの後ろにでも隠れてなさいな、ボウヤ?」
「愚弄するな!」
 売りことばに、買いことばだった。
 ここまで挑発されて、黙っていられるわけがない。
 苦渋を飲みこみながら、閻魔刀を抜く。
「私が動けば、きさまの出番はなくなる。……文句を言うなよ」
――すまない、ムンドゥス。
 これは、情報を聞きだすまでの演技だ。
「軟弱な貴族にしちゃ、いい根性してるじゃない。
 ルーチェ&オンブラにふさわしいか、見極めてあげるわ」
 肩をならべて疾走する女は、さも楽しそうに喉をならした。




NEXT
(2004/7/22)

<あとがき>
ここまで読んでくだすって、ありがとうございました!

スパーダモードをプレイしているうちに、
「パパンとママンの話がカキタイヨ〜。ドラヘモン!!」状態に
なりまして、妄想をつづってみました!!

エヴァが淑女じゃなくて、スイマセン(笑)
あのダンテの母親ともなれば、きっと女傑に違いない!
と思い、ダンテを女にしたらどういう風になるのかなぁ、と
イメージしながらかきました。
とてもじゃないけど、恋に落ちる二人には見えませんね〜。ギャハハ。

タイトル『S』は、スパーダの戦闘用の曲のタイトルからいただきました。
この曲、めちゃめちゃ好きなんです〜〜vv

全五回の予定です!
次回も引き続きエヴァ姐さんが暴走しますが、
もしよろしければ、お付き合いくださいませ。

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