『L』 





 スパーダは、思わず苦笑をもらした。
 リビングに妻の姿を求めても、見つかるはずなどない。
 数時間前。
 エヴァは、町に出かけていった。
 久しぶりの買い物だ、と腕まくりをしていた。張り切りすぎて、
死人が出なければ、いいのだが。
(しかし)
 背丈を追い越すほどの、放置されたゴミや、古い新聞や雑誌でできた
「地層」が、今にも雪崩を起しそうなほど傾いている。
(これは酷い)
 日頃、悪魔狩りの仕事で、夫婦ともに家を空けることが多い。
 おまけに、育ち盛りの子供と家事の苦手な女あるじのおかげで、ロココ朝の
面影を残す優美な城は、いまや「ゴミ屋敷」に成り果てていた。
 もっとも、近所では「汚宅」ならぬ「汚城」とあだ名されていようとは、
さすがに知るよしもなかったが。
 ふいに視線を飛ばす。
モップがなにかをいいたげに、壁に寄りかかっているではないか。
 ちょうど、閻魔刀と同じくらいの柄の太さだ。
「よかろう」
 スパーダは、このうえなく優雅なしぐさで手を伸ばした。



****



 古城は、男のために用意された独断場でしかなかった。
 ロングコートの裾が、音を立ててはためく。
 そのたびにモップが唸り、うっすらと床に積もったほこりが、
拭い取られていく。
 しつこい汚れには、デビルトリガー発動!
スパーダが駆け抜けた跡は、きらきらとした大理石がかつての輝きを
取り戻していた。
 散らかった雑誌を束ねる面倒は、戦う男には不要だ。
「失せろ」
 右手を突き上げると、灰も残さずに消えた。さすがイフリートだ。
 もっとも、ゴブラン織りのカーテンが焦げかけたが、それはご愛嬌だろう。
 ちょうどそのときのことだった。
オーク製の食器棚の影から、害虫が黒い頭をのぞかせた。
 伝説の魔剣士が、これを見逃すはずはない。
 流れるような美しさで、ルーチェ&オンブラを抜く。もちろん、すぐに撃つなど
無粋なことはしない。
 双子の銃をもったまま、両肩を躍らせる。
「かかってこい」
 ゴキブリ相手に存分に挑発をした後、空中から、無慈悲なまでに
弾丸を撃ち込んだ。
 細い悲鳴を上げながらマイセンの皿が巻き添えになったが、細かいことは
どうでもいい。
 たとえ床だろうと便所掃除だろうと、男なら美学を貫け!
 舐めあげてもいいほど綺麗になった床と、その上に新たに築かれた廃墟――
部屋の中央で、胸の前で銃を交差させたまま、肩膝で着地する。
「フッ…」
 己のスタイリッシュさに、思わず笑みがこぼれる。
「父さん、すごい!」
「かっこいー!」
 バージルとダンテが、幼い頬を染めて足元にまとわりついてくる。
 父の勇姿が目に焼きつくのはいいことだ――。
 目元をほころばせた瞬間。キッチンに続く扉の向こうで、人影が動いた。
買い物袋を両腕にさげたエヴァだ。
 窓の外に視線をやると、どっぷりと日が暮れていた。
「遅かっ――」
 ところが、エヴァは、三人の輪から目をそむけ、台所に入っていった。
(…なぜだ!?)
 予定では、「イヤーン、家事もできるなんて素敵! さすがダーリン!」と
黄色い声をあげ、背骨をへしおらんばかりの勢いで抱きついてくるはずだったのに。
 


***


 子供たちを寝かしつけることなど、朝飯前のしごとだ。
 なに。少しばかり、子守唄に催眠効果の魔法をしのびこませて
やればいい。
 ダンテは、すでに大きなイビキをかきながら眠っている。
寝返りをうった拍子に、腕がバージルの腹に激突した。
 兄の眉間に皺が寄るが、伝説の魔剣士の子守唄の前では、目覚めるものも
目覚めない。
 自分で自分の才能が、恐ろしい。
加減を考えないと、一週間は眠ったままだろう。下手をすると、永久に
眠らせておけそうな気がする。
 豪快に眠る子供たちの寝顔に、いとしい面影がよぎった。
 にがみが、口内を走る。
 背を向けたエヴァ。
 あんな風に拒絶されたのは初めてだ。
(なぜだ…)
 家事を手伝って、喜ばれこそすれ、拒まれるとは。
 台所は主婦の聖域――。
 そんなことばが、ぽつん、と浮かんだ。




 深夜。
 すべての家事を終え、リビングのソファーに腰をかける。
(なんだ…)
 この脱力感は。
 ソファーの上に足を伸ばして、沈みこむ。
 いつ豪邸拝見の取材がきても大丈夫だ。それほど磨き上げられた室内を
見渡す。綺麗になったが、むなしさだけが胸を去来した。
 それは、決定的にひとつ欠けているものがあるからだ。
 髪に指をさしいれ、きつく握り締める。
 エヴァの笑い声が、ない。
 それだけで、この家は、なんとも冷たく、無機質なものになっていた。
「――スパーダ」
 扉の向こうから響いてきた声の重たさに、はっと顔を上げた。
 思いつめた表情をして立っている妻の姿があった。
 声をかけられなかった。
 いくら料理がポイズンクッキングになろうと、子守をさせればサバイバル教室に
しかならなくても、「主婦」のプライドというものがあるのかもしれない。
 それを壊した自分は――。
 握り締めた手に、さらに力がこもる。
「話があるの」
 思いつめた表情のまま、ぽすん、と隣に腰を下ろした。
「どうした」
 つとめて冷静な声を作ろうとするが、固さだけは隠せなかった。
 気まずい沈黙が、二人の間に横たわる。
「スパーダ」
 ぐいっ、と頬を掴みあげられる。
 青い瞳に浮かんでいたのは、怒りだった。
「その顔じゃ、とっくに分かってるみたいね」
 殴りつけるような調子で、エヴァは切り出す。
 ことばの次は、鉄拳制裁だろうか。
 だが、それでもいい。
 魔界の軍勢を一人で相手にするより、一人の人間に相手にされないほうが
よっぽど辛い。
「絶対、許さない」 
 らんらんと輝く瞳と、吊り上がった片頬。
 来る――。
 怒りのほとばしりを感じ、歯をくいしばった。
 せめて骨くらいは残ればいいが――。
 肉と骨が軋む音が、古城に轟いた。
「なんであんなに楽しそうなのよっ!」
 眼球が飛び出そうなほどの、重い拳だった。
「……?」
 こっちは、魔界の裏側にまで落ち込んでしまいそうな気分だというのに。
痛みのあとにやってきたのは、ののしりの言葉ではなく、拗ねるような
言葉だった。
「私が知らないとでも思ってるの? 鼻歌まじりで料理したり、
踊りながら掃除してたくせに!
 なによ! わたしの存在、無視しちゃってさぁ」
 女の顔を見ると、目尻にうっすらと涙が浮かんでいるではないか。
「なっ」
 なんだと。
 衝撃のあまり、声にならなかった。
 なにを勘違いしているのか。
 忘れるだって? とんでもない。
むしろ、その当人のためにやっていたというのに――。
 あまりのことに、普段のキャラを忘れて、口をパクつかせた。



「弁解もしないわけ!?」
 エヴァは、ふたたび涙を目尻にためながら、拳を振り上げる。
「待て。誤解だ」
 身をよじらせるが、狭いソファーの上では、まして襟を掴み上げられた
ままでは逃げることもかなわない。
「逃がさないわよ」
「なっ、なにをする気だ」
 生命の危機を感じて、声が上ずる。
「決まってるじゃない」
「待て。話せば分かる!落ち着けっ。遺された子供はどうなるんだっ!」
(今日こそ、殺られる)
 襟を掴み上げられ、突き飛ばされる。
そのまま腹の上に馬乗りになると、エヴァは、にっこりと笑った。
「女心の分からないダメ悪魔に、教育的指導」
「なんだとっ!?」
「みっちり教えてあげるわよ。私を寂しがらせるとどうなるか」
 むしろ願ったりかなったりだ、といおうとする前に、戒めるような強さで
首に腕が絡められた。
「こわいな」
「そうよ。覚悟しなさい?」
 野性の獣そのままの獰猛さですごんだ。
(さすが、私の妻だ)
 微笑がこぼれるのを抑えきれずに、そのまま目をゆっくりと閉じる。
 吐息に、唇をくすぐられる。 
 が、甘い衝撃は、いつになってもこなかった。
 目を開けると、スカートの裾がソファーの下に向かって引っ張られていた。
さらに視線を移すと、
「おかあさん…」
 ダンテの小さな手が、しっかりと布地を掴んでいるではないか。
「どうしたの?」
 エヴァの顔が、狩人からとたんに母親の顔になった。
「眠れないの。やっぱりお母さんの子守唄がいい。バージルも
そういってる」
「どっかの朴念仁と違って、あんたたちはいい子ね!」
 エヴァは軽々と身を翻すと、ダンテを抱き上げた。
そして、音を立てて、ほっぺたにキスの嵐を降らせた。
 いとおしそうなそれを受け取るのは、本当なら――。
「ちょっと待て!」
 納得のいかない気持ちが、怒声となって噴出した。
「なによ」
 エヴァは、片眉を上げてせせら笑った。
「あんたみたいな冷たい男なんて知らないわ」
 つーん、とそっぽを向く。
「おい、ダンテ。そこは私の……」
 母の胸に頬をすりよせて甘えるわが子の背中に、恨みのこもった視線を
向けた。
 が、幼児がその意味に気がつくわけがない。
(…ぬかった)
 こんなことならば、子守唄にまぜた魔法をもっと強くしておけばよかった。
 心の中で毒づくが、すべては後の祭りだった。
 スパーダは、奥歯をきつくかみ締める。
 どうやら、真の敵を見つけてしまったようだ。


――伝説の主夫・スパーダの戦いは続く!!





<あとがき>
ハイ。とゆーわけで、かくしてスパーダさんは伝説の主夫になっていくわけですね。
家事を手際よくこなすのも、子供を寝かしつけるのも、すべては
妻との時間を、自分だけのものにするために(笑)

とゆーわけでタイトルは『Legendary』の『L』です
デスっちゃうノートではないですよ(笑)

今回のみどころは(?)スタイリッシュに掃除するスパーダさまでしょうか。
掃除をしているようでいて、実は掃除になってないという…(笑)

この話は、数ヶ月かけて仕上げた話です〜。
妄想がのったときに、ギャグったスパーダさまをちょいちょい書いていくのが
楽しかったです。

ここまで読んでくださってありがとうございます!


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