Kill Time
――満月の夜は、いい。 窓の外から差し込む光に、ダンテは目を細めた。 群青色の空に、冴える月。 満ちた円を目の当たりにして、血と悲鳴を求めて魔物どもが人間界に 紛れ込んでくる。 とはいっても、オレの店に電話がかかってくるようなヤバイ悪魔のお出まし には、少しばかり時間がかかる。 だから、いつものように店の中央に置いた黒檀の机に両足をのせ、頭の 後ろで手を組んで電話を待つ。 いつかかってくるかも分からない電話を待つのは、かなりの苦痛だ。 そうさ。 満月で悪魔の血が騒ぐなら、デビルハンターの血は沸騰寸前だからな。 前ならば――店が前の名前のときは、出前のピザを頬張り、ハイテンションの ロックを鼓膜が破れそうなほどのボリュームで聴きながら、『依頼』が来るまでの 退屈な時間を過ごしたもんだ。 今はどうなってるかだって? ソファーに、視線を流す。 大音量のロックと宅配ピザに加わったのは、一人の女。 薄汚れた店の中で、そいつのいる空間だけが華やかになる。 さすがのオレも焼きが回ったってことかもしれない。 この商売に油断は禁物だってのに、つい目を奪われそうになる。 その瞬間、足元にあるアンティークものの黒電話が、ジリジリと鳴る。 「デビル・ネバー・クライ」 コンマの差だけ早く受話器を取り上げ、女は勝ち誇ったような視線を送ってきた。 オレは首をすくめ、また机の上に足を乗せ、頭の後ろで手を組む。 これで100戦51敗目。 が、勝ち越した瞳は、すぐに失望の色に変わった。忌々しいとばかりに、 受話器叩きつけた。 「…今日は閉店よ!」 どうやら、イタズラらしい。 どこから番号を聞きつけてくるのか、冷やかしの電話も少なくない。 冷やかしくらいなら、まだいい。 ドブ掃除や浮気調査やら、はたまたマフィアの縄張り争いやら、クソつまらない 依頼もザラだ。 ただの『便利屋』だと勘違いした電話には、さすがに「温厚」なオレですら 最初は辟易させられた。 「怒るなよ。美人が台無しだぜ」 便利屋の新入りを、片目をつぶってたしなめる。 「平和ボケでもしたの?」 たしなめられたのが悔しいのか、それともイタズラ電話への八つ当たりか、 トリッシュは頬を膨らませて睨みつけてきた。 「せっかくの満月の夜なのに、『依頼』がないのよ? デビルハンターがこれでいいわけないでしょう!」 いいながら、イラついた仕草で、腕を組んだ。 昨夜も悪魔どもと死闘を繰り広げたというのに、今晩も暴れたくてたまらない らしい。 この女も、オレと同じだ。 リスクは、高ければ高いほどいい。 魂を揺さぶるような危険こそが、生きる糧なのだ。 相棒のあまりの頼もしさに、オレは喉を鳴らした。 「焦るなよ。『客』ならすぐにいやってほど来るぜ。バイクで突っ込んでくるような クレイジーな客がな」 「その『客』のバイクを穴だらけにするほうが、どうかしてるわ」 オレたちの出会いへの皮肉を、トリッシュは、さらり、とかわすと、流れるような しぐさで、机の端に腰を下ろす。 「だけど、たまには悪くはないわ」 金色の髪が、オレの横で揺れる。トリッシュは、首だけをこちらに向けてきた。 ――狩りが始まるまでの、死に至るような退屈をなんとかしてくれ。 おいおい。今夜は、オレにどんな悪さをさせる気なんだよ。 「そういう刺激も」 世の男どもを五秒で昇天させる美貌が、思わせぶりに微笑む。 OK。 暇つぶしでも、オレはマジでいくぜ? *** 頭の後ろで組んだ腕をほどき、手を一フィート伸ばしさえすれば、 そこには絶世の美女がいる。 引き寄せれば、チェックメイトだ。 だが、それはスマートじゃない。 さんざん手間をかけて、ようやく味わうことこそがメインディッシュの楽しみだ。 遊びでも、悪魔狩りでも、口説くときも一緒さ。 「満月の夜になると、オレの中の血の半分も暴れだす。お前は?」 遠まわしに話題を変えながら、オレは組んだ腕の片方だけをほどき、親指で 自分の心臓を示す。 「そんなこと感じたことないわ」 白々しくトリッシュは、笑う。 当然、オレの魂胆を見透かした上での反応だ。 「今にも銃をぶっ放したいほど、ハイな気分だ」 「物騒な英雄ね。これじゃ、どっちが悪魔か分からないわ」 「そのとおり!」 唇の端を吊り上げ、トリッシュと目線を合わせる。 「オレの中の『悪魔』を大人しくさせとかないと、街が壊滅するのも時間の 問題だぜ?」 「まさか子守唄でも歌えっていうのかしら」 トリッシュは、さも意外そうな顔を作った。 この程度の口説き文句じゃ、篭絡されないって訳だな。 さすが元悪魔。焦らすのは、お手の物ってことか。 笑いが、自然と頬を緩ませる。 だから、この女はいい。 腕の中に飛び込んできたと思ったとたんに、猫のような気まぐれさで 腕の中からすり抜ける。 腹の探り合いと、駆け引き。 いいぜ。背筋がゾクっとくる。 さて、どうしてくれようか。 *** 手ごわい相手には、不意打ちが効果的だ。 「お前だって、血が騒ぐんだろう?」 髪を引っ張られる気配に、トリッシュは身じろいだ。 見上げるオレの眼差しと、見下ろす青い瞳がぶつかる。 視線を合わせたまま、オレは金色の髪を指で摘み上げ、唇に寄せた。 「いいのか?二人で暴れたら、地球が滅ぶ」 「だから協力しろってこと? ダンテからそんな素直な言葉が聞けるとは思えなかったわ」 トリッシュが、先に視線をそらした。 むっとした表情の中に、わずかに見える戸惑い。 (おいおい、もう決着をつける気か? 今日は随分とあっけないぜ、トリッシュ) だが、手を抜く気はない。 「落ちた」と思わせておいて、噛みついてくるのがこの女の怖いところだからな。 背中に、低い声で囁きかける。 「助け合おうぜ、相棒?」 振り返った相棒に、笑顔で止めをさす。 まだこんな表情が、自分にできるなんて思ってもみなかった。 封印していた「ダンテ」の名前を再び名乗ったあの日――心の底で誰かに 甘えていたあの日々に置いてきたとばかり思っていた。 オレが相棒に送ったのは、悪魔を狩るときには決してしない、無防備でガキくさい 微笑みだった。 「ズルイ男ね」 効果は絶大だった。 ついにトリッシュの表情が崩れた。 怒っているような、困っているような、そのくせ、どこか嬉しそうな表情。 「口説き上手だと言ってくれ」 片方の目をつぶる。 「調子がいいっていうのよ」 トリッシュは、膝の上に滑り込んでくると、首に腕を回してきた。 こっちの勝負は、100戦51勝目。 オレの勝ち越しだ。 「賞金はキスでいいぜ? 眠気が覚めるようなヤツを頼むよ」 「キスだけでいいの?」 上から覗き込んでくる瞳は、イタズラっ子のような色が浮かんでいる。 顔にかかる金色の髪が、くすぐったい。オレは喉を鳴らして笑った。 「ああ。ただし、次回はオレに『上』を譲ってくれよ?」 「どうしようかしら」 謳うように口ずさみながら、小憎たらしい美貌が近づいてくる。 勝利の美酒は、最高だ。 吐息の甘さを味わう――まさにそのときのことだった。 今晩、二回目の電話が鳴った。 トリッシュの手が反射的に伸びかけて、止まった。 「仕事だぜ?」 からかいの視線を送ると、トリッシュは、眉を吊り上げながら、受話器を 取り上げた。 「デビル・ネバー・クライ」 応対しながら、まだこっちを睨んできやがる。 (仕返しが怖いな) だが、そいつも悪くない。 オレは、再び机の上に足を乗せ、後頭部で手を組んだ。 *** 「……またアンタ?しつこいわよ」 受話器からもれ聞こえてくる声は、さっきのナンパ男らしい。 「鉛弾が欲しいのなら、全身に打ち込んであげましょうか」 八つ当たりそのままに、受話器を叩きつける。 頼むぜ、相棒。 照れ隠しにも全力投球なのいいが、そいつはアンティークものの黒電話なんだ。 もうちょっと加減を考えてやってくれよ? 自然と、頬が緩んでいた。 「なんで笑うのよ!」 「…誘ってきたり、怒ったり、忙しい女だと思ってな」 「なによ、それ」 ふくれっつらになりかけたところで、電話のベルが鳴った。 瞬間だけ早く、トリッシュが受話器をさらう。 「…OKAY。場所は?」 今度は、本当の依頼らしい。 オレは風よりも早く立ち上がっていた。もちろん背中にはアラストル。 両手には、当然エボニー&アイボニーがいる。 「場所は、五番街の裏通りよ」 扉に向かうオレと肩を並べながら、トリッシュは依頼内容を説明し始めた。 その顔は、すでにデビルハンターの顔だ。硝煙で彩られたスリルを 待ちわびている。 「十分で片付けようぜ?」 「五分よ!」 なんとも勇ましい言葉に、鼻先で笑った。 「上等!」 一人で電話を待つときは、退屈で死にそうだった。 だが、もうそんな心配はいらない。 ロックとピザ――それに相棒がいれば、ゴキゲンさ。 おっとピザと一緒にされたんじゃ、電撃が飛んでくるか。 店のドアを開け放つと、群青色の空に、冴える月。 オレの隣には、張り合いのある女。 やっぱり満月の夜はサイコーだ。
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